日本の城跡
荻野山中陣屋
(別称:山中城)
陣屋石碑
訪問日
H16年11月
ポイント
小田原藩大久保氏の二つの分家の一つ。下野烏山藩と荻野山中藩。当藩は当初、駿河松村に陣屋うぃお構えていたが相模愛甲郡等に所領の加増を受け、関東への陣屋移設という異例の扱いを許され、水田、川を利用した程度の陣屋とした。
印象
江戸時代のものだが、上記理由からか要塞堅固では無かったらしい。公園化して整備されてしまっており、更に住宅も迫っており、あまり遺構は分からなかった。
地図
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略史 小田原藩主大久保忠朝の子教寛が西の丸若年寄に昇進した時、駿河に加増受け駿河松永村に立藩。更に本丸若年寄に任じられ相模愛甲郡等に加増受け、五代教翔の時当地に陣屋を移した。最後の藩主教義の時、大政奉還も決まったが薩摩藩邸に集まった水戸浪士、鯉淵を首領とする浪士隊が荻野山中陣屋を襲撃し強奪、放火した。これが鳥羽伏見の戦いの導火線に。徳川家の駿河藩成立に伴い当藩の駿河領は相模に移されたが、4年後廃藩に。
陣屋地
遠望
同
陣屋周辺