日本の城跡

小山城(別称:祇園城)

思川からの遠望
訪問日 H14年 6月
ポイント 思川の浸蝕による崖を利用した天然の要害。北関東特有の連郭式縄張り。堀切で各曲輪を形成、石垣のない土の城だが堅固。関ヶ原の役の第一幕で上杉討伐の為家康が大軍を率いて進駐したが、三成の挙兵で諸将と軍議を開いた小山評定が有名。
印象 思川を上手く利用。城跡公園になっているが、空堀と土塁で仕切られた郭が残っている。中世の城郭。
地図
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略史  小山氏は藤原秀郷を祖とし在地領主として伸長、頼朝の挙兵に一族そろって味方し鎌倉幕府の有力御家人として活躍した。小山義政と宇都宮基綱との領地争いに鎌倉公方が干渉、これに義政が叛旗を翻した為鎌倉方が攻撃、再三の激闘の末自害滅亡した。しかし名跡は同族の結城氏が継いだ。戦国時代小山氏は北条氏に属した為秀吉の征討の前に北条氏と共に滅亡した。関ヶ原後、本多正純が軍功により入城立藩したが後宇都宮に転封、その後は古河藩、幕府、宇都宮藩の支配を受けた。
土塁・堀切
空堀
本丸堀
空堀
土塁
堀切