日本の城跡
愛甲三郎館
館碑
訪問日
H16年11月
ポイント
源頼朝の御家人きっての弓の名人、愛甲季隆の屋敷跡。丹沢の七沢から流れる玉川の南岸の台地にあり、台地の北側は急崖になっており、かっては玉川が台地を削るように流れていた天然の要害。館跡の北側に愛甲氏の伝承をもつ二基の五輪塔が残る宝積寺がある。
印象
公民館の脇に館跡の碑がある。車で行ったがなかなか分かりにくく、二度目でやっと見つけた。従前は土塁等があったようだが、今はあまり無い。宝積寺側から見ると崖の上の台地にあることが良く分かる。
地図
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略史 武蔵七党の一つ横山党の一族、山口季兼が愛甲庄を領有した。その三男の季隆は源頼朝の鎌倉幕府に従い、御家人として活躍し執権北条時代に畠山重忠の乱では、重忠を弓で討ち取っている。しかし季隆死後の縁族和田義盛の乱では、義盛に荷担して敗れ、以後一族は衰退した。
遠望
宝積寺