日本の城跡
海老名館
海老名氏墳墓
訪問日
H16年3月、11月
ポイント
相模川流域は早くから開発が進み、平安時代末期以降、中流域沿岸部に海老名氏が栄えた。海老名氏は源頼朝の挙兵の時、大庭氏に従い石橋山で頼朝を追い込んだが、その後幕府に任官した。更に和田義盛の乱に加担し勢力は衰えたが横山氏の後援で復活する等、中世期を逞しく生き抜いている。
印象
相模川沿いにある。宝樹寺跡あたり。海老名氏の墓石の社がある。海老名氏の祖である有鹿氏を祀った有鹿神社が隣接している。遺構はあまり無い。
地図
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略史 海老名氏は村上源氏の一流で四代目の有賀氏を祖とする。海老名に荘園を得て海老名氏を名乗った。海老名氏は武人としても優れ、前九年の役の衣川の柵の戦いで軍功を挙げている。海老名氏は嗣子が続かなかった為、武蔵七党の一つ横山党の横山季兼を養子とした。その後一族は栄枯盛衰を重ねたが室町中期に将軍と鎌倉公方との争いで公方に殉じている。
海老名氏墳墓入口
周辺
同
有鹿神社方面
有鹿姫霊地