日本の城郭
衣笠城
本丸城碑・物見岩
訪問日
H1年 5月
ポイント
三浦一族の本拠。源頼朝の挙兵に応えて三浦義明は衣笠城で平家方と決戦し討死。三浦氏が鎌倉幕府の要職を占めた一因に。衣笠城も平安時代の理想の都城であった三方を馬蹄形の連丘によって囲まれた谷全体を城郭としている。
印象
川筋の細い道を上がって行くと大手口にある。そこから石段を登ると、途中大善寺があり、その背後が本丸跡である。城碑が立っているがもっとすごい城かと思っていたので少し拍子抜け。執権北条氏との確執から滅ぼされ為、徹底的に破壊されたか。
地図
地図をクリックすると拡大します
略史 村岡良文の孫為通が前九年の役の軍功で三浦郡を与えられ築城した。4代義明の時には一族が半島に勢力を拡大して三浦王国を築いた。義明は源頼朝の挙兵に直ちに援軍を送り石橋山の合戦に間に合わなかったが、平家方の大軍を衣笠城で良く支えた後討死した。この功績により、その後三浦一族が鎌倉政権の中核を担った。しかし執権北条氏との確執が生じ、三浦氏は佐原城を始め衣笠城を中心とする一大要塞地帯を作り対抗したが執権時頼に滅ぼされ廃城となった。
遠望
石碑
登城口
同
本丸
同
中腹にある大善寺(館跡)