日本の城跡
浦賀奉行所
奉行所跡
訪問日
H15年10月
ポイント
下田奉行所に代り、江戸の海を監視。ペルー来航時対応。
印象
浦賀城の対岸。途中にある為朝神社は民俗芸能の虎踊りが毎年奉納され有名。この神社の奥の住友重機機械の社宅がある所が奉行所跡。一部堀、石垣が残る。浦賀は住友重機とIHIが合併後工場を閉鎖した為、海軍工廠時代よりドッグの町として栄えたが寂しい感じだ。
地図
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略史 浦賀奉行所の前身は下田奉行所。享保の改革の一環として、江戸の人口増加に伴う商品流通を掌握する為下田から移ったもの。船の積荷の検査、天領の支配、沿岸警備等を職務とした。更に外国船の来航が始まると海防の職務も加わり、地位も昇格した。しかし横浜開港により浦賀の港としての重要性も次第にうすれていった。
奉行所・堀跡
同
同
為朝神社