日本の城跡
岩富城
略史 岩富は中世は白井庄弥郷と呼ばれ、白石や支族の弥富氏の支配下にあった。1455年馬加康胤・原胤房らが千葉宗家を滅ぼすのと同じ頃、原氏は千葉氏の臣下であった白井氏を追い弥富郷に入った。岩富城は1470年頃原景広によって築城された。豊臣秀吉の小田原征討の時、甘縄城に籠城していた北条氏政の家臣北条氏勝は本多忠勝らの降伏勧告に応じて徳川家康の臣下になった。家康の関東入部に伴い、氏勝は関東攻略の先導役を勤め、戦略上重要な千葉氏方の岩富城攻略の先鋒となり、落城後この地を与えられ立藩した。死後保科正直の氏重が養子となったが、二年後に下野富田へ移封し廃藩となった。 |