日本の城跡

馬加城

遠望
訪問日 H19年10月
ポイント 花見川と浜田川との間に挟まれた舌状台地の先端に位置。鎌倉公方が関東の覇者にならんと目論み争乱が勃発した時、千葉一族分裂の一方の屋形。
印象 小高い丘の上。大きなマンションが建っている。遺構は見当たらない。
地図
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略史  千葉常胤の四男、胤信が屋形を構える。その後千葉満胤の長庶子、康胤が移り住み馬加氏を名乗った。関東が関東管領上杉氏と鎌倉公方足利成氏との間で争乱が勃発、千葉氏も内部で両軍に分かれた戦った。康胤は足利成氏を支持、上杉方に立った宗家千葉胤直を千葉城に攻撃、多古城に逃げた胤直を滅ぼした。これを知った千葉一族の美濃郡上の東常縁は八代将軍足利義政の康胤追討の御教書を持って下向、他の千葉一族等を動員して馬加城を攻略した。康胤は上総八幡に退いた後自刃した。