日本の城跡
多古城
遠望、下の道より
訪問日
H21年 3月
ポイント
比高20mの台地の先端に位置する。いくつかの郭を備えた規模も大きい城であったが、開発でほとんど残っていない。
印象
写真にある、急土手の階段を登る。ところが全面金網で塞がれ窮したが、よじ登り強行突破した。どうも反対側から登城したようだ。堀・土塁の一部を発見したが、千葉氏本家が立て篭もった城だというのに、住宅開発による破壊がすごく無残な姿だ。残念だった。
地図
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略史 千葉氏の一族、円城寺氏らの居館か、詳細不明。鎌倉公方足利成氏と関東管領上杉氏との争いで、千葉一族が分裂。千葉胤直は一門の原胤房に本拠の亥鼻城を急襲され、千田荘に逃れ胤直は志摩城、子の胤宣は多古城に逃れた。しかし両城は原氏、馬加氏に攻められ落城した。戦国末期、飯土井氏が居城していたが、原氏の一族牛尾胤仲が攻め落とし居城とした。その後北条氏の意に沿わなかった為、飯櫃城の山室氏に攻められ逃亡したとのこと。
遠望・陣屋近くより見る。開発で破壊。
城地。祠がぽつんと
土塁
竹藪の中に土塁と堀
堀切
土塁・空堀
同
土塁
同
同
下の道路より