日本の城跡

臼井城

二の丸入口・土塁・堀
訪問日 H3年 3月, H20年 9月
ポイント 空堀、土塁、そして急崖に守られた要害。太田道潅(弟、図書の討死)、上杉謙信の攻撃にも天険を利用して守った難攻不落の城。
印象 三方が崖になっており、空堀、土塁もある。しかし住宅地が迫っていたり、畑地となって一部埋め立てられたりしている為か堅城の雰囲気は感じられなかった。 H20年 9月に再訪問。公園として整備され分かりやすかった。特に本丸周辺は雑木林も整備され土塁・崖・空堀の見事さに感心した。真に堅城である。
地図
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略史  千葉氏一族の臼井常康が当地に居を構え、源頼朝の挙兵に千葉氏と共に参陣。その後臼井城を築城、堅城ぶりを発揮したが十二代久胤の時里見氏家臣の正木時茂に攻め取られ結城に落ちのびた。臼井氏後は一族で北条方の原氏が居城したが豊臣秀吉の北条征討で落城した。徳川家康の関東入部で徳川四天王の一人酒井忠次の嫡男家次が入封立藩した。家格の割に俸禄が少なかったが、これは父忠次の家康の嫡男信康の自害に対する不行届の結果か。後上野高崎に転封、廃藩。
二の丸と本丸間の空堀
 
二の丸の一部
天満宮
三の丸
太田図書の墓・三の丸
入口・本丸方面
  

 H20年 9月訪問

本丸方面の虎口
腰郭
印旛沼・師戸城方面
本丸
本丸・土塁
本丸城塁
本丸
本丸より腰郭
本丸・社
本丸大手門
本丸
本丸土塁
本丸と二の丸間の土橋
同間の空堀
 
二の丸
 
二の丸入口
庚申塚
二の丸空堀
太田図書の墓・三の丸
妙見社
三の丸
  
天満宮
二の丸土塁と本丸
二の丸入口から本丸崖