日本の城跡

横手城(別称:朝倉城・龍ヶ崎城)

遠望
訪問日 H6年11月,H29年10月
ポイント 横手盆地に位置し南と西は横手川、北は明永沼、牛沼、東は奥羽山脈に連なる深山があり自然地形を利用した要害。天守閣は築かれたことはない。東南の中腹に宇都宮釣天井事件で流された本多正純の幽居跡がある。 
印象 なるほど川と沼をうまく利用した城だ。天守閣は模擬天守で物産館、日本人は天守が好きで全国各地でありもしないものを造ってしまう? 再訪。模擬天守を撮りたくて訪問。横手城南高校生の、父兄による車送迎の渋滞にはまり、びっくり。      
地図
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略史  小野寺輝道、義道の代に勢力を伸ばし南部氏、和賀氏、最上氏ら近隣豪族との合戦が絶え間なかった。しかし太閤検地で大巾に減封され、更に関ヶ原で反家康側に立ち石見に流罪となった。その後秋田藩佐竹氏の支城となり城代が明治まで置かれた。戊辰時、城代戸村氏は藩代表として奥羽越同盟に加盟したが、本藩が一転して新政府側となった為怒った仙台、庄内藩軍の猛攻を受け落城炎上した。
   模擬天守

本丸

   武者溜り

七曲坂

牛沼
     横手川
   七曲坂・土塁

     近隣
以下、H29年10月撮影分

武者溜りと二の丸の模擬天守

二の丸模擬天守


二の丸土塁

牛沼と本丸下の帯曲輪


帯曲輪と本丸土塁

本丸



本丸虎口

本丸土塁

本丸と武者溜り間の虎口

横手の町並み